それにしても、あんな騒ぎになるとは思いもしなかった。会見で石原氏のことを言えばその場が一気に盛り上がり、和むだろうと考えていただけだ。会見を御覧になった方はお分かりだろうが、私はテレビ映えしない。だから言葉の上で何か面白いことを言って切り抜けないことにはどうしようもない。だからああいうことを言っただけ。それがメディアの作ったストーリーによって思わぬ大きさに膨らんでしまった。
だがそもそもは、作家が言いたいことを言い合った、ただそれだけだ。作家というものは昔からさまざまな形でぶつかったり、反目したりしてきた。文学上の論争のこともあったし、私怨(しえん)に近いこともあった。まっとうな作品批判から相手の生活や容姿を嘲(あざけ)るようなものまで、熱心に、幅広く行われてきた。時には言葉だけでなく肉体的な暴力に発展する場合まであったのだ。
今回は言葉の上のこと。なのにそこへメディアが集まった。まるで事件現場に群がるように。つまりいまの日本というのは、作家の言い合いに過剰に反応するほどにまで、ものが言いづらい世の中なのではなかろうか。だから好きなことを言う人間を珍しがっているのではないのか。そのあたりを、人の言い合いを流すだけのメディアは、いったいどう考えるのか。私はネットをほとんど知らないが、ブログやツイッターで言いたいことを言っているように見える日本人は、実は言いたいことを出し切れていないのかもしれない。この点を分析する能力は自分にはない。ひょっとすると、言いたいことを自由に言っている石原氏や私は、古いタイプの書き手なのだろうか。(たなか・しんや、作家=「共(とも)喰(ぐ)い」で第146回芥川賞)
芥川賞に選ばれて:言いたいこと、あの夜と今=田中慎弥 - 毎日jp(毎日新聞)(Source: burnworks)
ソーシャルゲームは面白いのか? はっきり書いておくとゲーム単体では面白くないと感じる物が多い。ソーシャルゲームだからソーシャル部分を抜いたら面白くないのは当然だが。 但し、そこにソーシャルな繋がりと、多くのユーザーが同時にやるという要素を組み合わせると爆発的に面白い。 更に人間の根源的な感情である自己顕示欲、承認欲求にも大いにリーチしてくる構成になっている。この仕組がとてつもなくすごい発明、発見だと思う。 ゲームの面白さはゲーム性だけで決まるわけではないという事を、脳が化石になった家庭用ゲーム開発者は早く気がつくべきだと思う。 ソーシャルゲームを馬鹿にする家庭用ゲーム開発者は腐る程いるが、現時点で我々はソーシャルゲームがやっている事の一部の業務を担当しているに過ぎない事に気がつくべきだ。
ゲームの面白さはゲーム性とコミュニティによっていくらでも変わるし、それらを相互に融合させたゲームをコンシューマーの枠組みの中で作るのはとても難しい。 例えば面白くない映画を100人で喋りながら見るのはとても楽しい。この場合面白くない事にも価値があることになる。 本来、価値がなかったものに価値を与えるという事が面白いという事はニコニコ動画の成功例で理解できるはず。
notes/289894864393715 (via otsune)「私にキスしてくれたら、とても美しいお姫様へ戻ることができるのよ」
彼は身をかがめてカエルを拾い上げると、自分のポケットにしまい込みました。
そこで、ポケットの中からカエルは再び言いました。
「もしあなたがキスしてくれて私をお姫様へ戻してくれたなら、あなたと一週間一緒に過ごしますわ」
エンジニアはカエルをポケットから取り出して、微笑むとまたポケットへしまい込みました。
するとカエルは泣き叫ぶように、
「もし私をお姫様へ戻してくれるなら、あなたと一緒にいて、もう何だってあなたの望みどおりのことをします」
またもやエンジニアはカエルをポケットから取り出すと、やはり微笑みかけるだけでポケットへ戻しました。
カエルはようやくそこで尋ねました。
「いったいどういうことなの? 私は美しいお姫様で、あなたと一週間一緒にいて、何でも望みどおりのことをすると言ってるのですよ? どうしてキスして下さらないの?」
するとエンジニアがこう答えました。
「僕はエンジニアだよ。恋人を持つ暇なんてないんだ。だけどしゃべるカエル、こいつはカッコいい!」 joke19 (via sesuna)











